工藤パンの高清水まんじゅうが良すぎる

私生活で訳あって(まじで訳が訳で気力がなくて)しばらくこちらのアカウントも表のツイッターもログアウトし、インターネットメディアなども読んでなくて文章を書く感覚をすっかり忘れていますが、最近すごい発見をしてしまったので久しぶりにブログを更新する次第です。


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先日デイリーヤマザキに寄った際に和菓子コーナーにあって目をひいたので買ってみた、「高清水まんじゅう」が、すっごいツボにハマってしまった。

作ってるのはヤマザキじゃなくて工藤パンらしい。

http://www.kudopan.co.jp/product/3527/

そもそも日本酒の風味が好きで、高清水もスーパーで手に入りやすくかつ美味しいということで親しみがあったため買ってみたのだが、白餡に高清水の酒粕が含まれているらしく、風味が「あっ!高清水だ!」という感じがツボである。

週に3回程買ってたら店頭在庫が無くなっていたので「デイリーヤマザキのお客様の声的なところにメールして『良かった!また置いてね!』的なメッセージを入れよう」と思ったのだが、デイリーヤマザキのHPにはメールフォームがなく電話しかなかった。

電話か…ちょっと大げさな話になるな…と思っていたら再入荷されたので大人買いしました。

他に高清水まんじゅうの入荷を楽しみにしている人がいたら悪いとは一瞬思ったが自分の欲望を優先した。すまないが…

 

ところで工藤パンのホームページを見たら「南部美人まんじゅう」もあるじゃないか!南部美人も好きだから売ってくれよ!

http://www.kudopan.co.jp/product/216/

 

インターネットの隅っこではあるが、こうして好きですよと言うことをアピールして企業の担当者の目にとまったら供給してくれるかもしれない。

そんな期待を込めております。

 

 

 

 

ドトールのモーニングを食べました

12月の後半、いつも横目に見ながら通勤するドトールコーヒーの前に朝限定の美味しそうなメニューが掲示してあるのに気づいた。

それから毎朝ドトールのモーニングのことを考えていた。

 

駅前のドトールのモーニングが美味しそう

駅前のドトールのモーニングのあのふわふわの卵がはさまったパンがうまそう

駅前のドトールのモーニングみたいなふわふわの卵がはさまったパンに憧れがある

駅前のドトールのモーニングを横目に毎日通勤してる

駅前のドトールのモーニングが食べたい

土曜日、起きた、朝飯を食べてる場合じゃない

日曜日、起きた、もう朝って時間じゃない

駅前のドトールのモーニングが食べたい

駅前のドトールのモーニングが食べたい

いっそのこと遅刻してでも優雅に食べてやろうか

駅前のドトールのモーニング、必ず食べる

駅前のドトールのモーニング、明日こそ必ず食べる、必ずだ

 

本日は土曜日、このためだけに朝8時に起きた。

と思った次の瞬間、9時半に起きていた。

なんだか汗をかいている。朝8時の私が寝ぼけて暖房をガンガンにかけていたからだと思う。

シャワーを浴びて、外出ついでにあれもこれもしようとアレやコレやを用意していたら朝10時になっていた。

ドトールのモーニング、正確には朝カフェというようだが、注文できるのが10時半までだ。家から駅まではまあまあの徒歩距離だ。

ついでの支度をやめろ。化粧もしなくていい。化粧品持ってけ。とにかく出かけられる服だけは着て半ば小走り気味で駅前のドトールに来た。

着いてみると並んでいる。ドトールの福袋(もう?)を大量買いする人で時間がかかっているようだ。レジで10時半ぴったりに断られることもないと思うが、そういう店もあるので若干不安はあった。

レジについて、ドリンクは豆乳ラテ(ホット)と決めていたのだが口から出た言葉がアイスコーヒーだったからアイスコーヒーにしておいた。

 


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相変わらず食事の写真が全然美味しそうに撮れない。囚人の飯か?でもこのドトールがムーディなことに暗いのでそのせいもあると思うな…

ちなみにこれが公式のメニューだ。↓

https://www.doutor.co.jp/dcs/menu/detail/20191031145528.html

 

公式の写真みたいにパカッとあいてるわけではないから若干ショボいなという気持ちはあった。

味なんですが、卵はふわふわというよりとろとろだった。ベーコンの味がきいている。うまい。多分料理が苦にならない人なら作れる感じではあるが、私は仏教で言うところの四苦八苦の三段階下層に料理苦を抱えているから、自分の為にちゃんとした料理をしないので朝ごはんとしてちゃんとしてたらもうそれでよかった。

 

ただひとつ、全然量が足りなかった。

朝、布団の中で

月曜日の朝のダルくて憂鬱な気分で起きて思った事を布団の中で書いてみる。馬上、枕上、厠上の三上の一つだからきっと良い文章が書ける。出勤の支度があるから時間に制限がある。使えて15分。制限はあってもいい。私は文字数に制限がある文章コンテストが好きだ。3倍くらいの文章を書いて文字数オーバーした分刈り取る時の気持ちよさは多分羊の毛をバリカンで刈る時もこんな気分なんじゃないかと思うような気持ちよさがある。一番最初に「私は」とか「ではないかと」みたいな(みんなは違うかもしれないけど)とか(確実ではないが)みたいな言い訳的な物が消えていく。言い訳の多い自分に気づく。そういう気づきがあった。

今年Web記事やブログ記事をたくさん書いてきた。それで一円でも稼いだわけではないので完全に趣味である。私は自分の日常の行動も記事の企画もやりたくなってやってみてから「なんで私はそうしたんだろう」と振り返って考える事が多い。行動の段階で考えなさすぎでもある。今年なんでWeb記事を書いてきたのか。答えは仕事に対する反動だ。会社では毎日生産性の向上を考えながら仕事をしている。やりがいはある。今までやってきた事がそもそも要るのか要らないのか根幹の部分の疑問も持ちつつ、枝葉でも重箱の隅をつつくように無駄をなくしてきた。無駄をなくしている。毎日毎日無駄をなくす、生産性生産性生産性…少し狂って来ている自分を感じた。そんな折にShortNoteのコンテストがあった。103文字で書く地味な日常のハイライトを競う地味杯というものだ。日常地味だし、103文字ならいけんるじゃないかと思ってたくさん応募したところ佳作をいただけた。この時生産性の反対にある面白い事に気づいた。じゃあ文章を書く事を仕事にしたら面白いじゃん、Webライターを生業にしたい!とはならなかった。仕事の生産性の向上は面白くはある。そしてめいっぱい仕事を真面目にやりつつ、少し開放された時に面白そうな事の種が出てくる事が多い気がする。暇でプライベートの遊びが充実している時のが思いつきは少ない気がする。この趣味を続けるには普通に働いていた方がいい。私はそうでないとできない。

そんな仕事も契約の都合上なくなりそうだから必死の転職活動を年明けにする。これはどっちだろうか?ギュンギュンに必死でやるから開放された時に何か思い浮かぶかもしれないが、普段の仕事に加え新しい事をしてもいるので頭の中が忙しく何も思いつかないかもしれない。仕事ありきの趣味のためにも仕事を早く見つけたい。

 

ここで、25分経ってることに気づいた。遅刻してしまうのでこれまで…

やるぞと思ってやれてないことの一つ

今年ももう終わり。お終い。

なのにやり残した事がありすぎてほとんど覚えてない。やりますよ!って言ってやってないことや取り掛かったら思いの外大変だったから後回しにしたこと、そういうのの蓄積でもう覚えてない。

そんな中、実は転職活動を余儀なくされている。私が転職したいわけじゃない。転職しないと来年の今頃職がない可能性が80%だからだ。でもそんな消極的な姿勢で過酷な転職戦線を勝ち抜けるとは思えないので、「私が!転職したい!」って日に15回くらい外では心の中で家では口に出してつぶやいていたら一ヶ月程で無事に私が転職したいことになりました。るろうに剣心で鵜堂刃衛が使ってた憑鬼の術もだいたいこういうメソッドでしょうね。私が転職したいから転職活動します。

だから大掛かりなことできないんすよ…って言い訳なのだが、これも嘘なんだな。どんだけ忙しくてもできるときはできるから。まあでもいつもよりは忙しいと思う。

 

そんな中、やり残したことのうち忙しくても絶対できるはずのことが一つあるのでここに書いて自分にプレッシャーを与えようと思う。もう今年は本当に終わるから来年でいいことにするけども。

つけ麺屋でつけ麺を提供された際の写真を撮り、汁と麺の左右を記録する

 

別に太字にする必要がある程の話じゃない。

私はつけ麺を食べるときに自分の手元に汁、右斜め奥に麺の丼を置くのがベストポジションだと思っているのだが、店で提供されるとき完全に逆の事が結構ある。それも当たり前の話で、つけ麺の左右なんて決まりもマナーもないからだ。

しかし、このチェーンでは完全に逆、あのチェーンでは私にとって正、あの個人店は特に決まりがないのか正の時も逆の時もあるなど、店のカラーが出るのだ。

出るのだ、じゃない。今のところ出る気がするだけだ。なぜなら記録してるわけではないからだ。思い込みかもしれない。つけ麺界の左右を論じたかったらまず記録する必要がある。これは忙しくてもつけ麺屋に行ったとき提供されたままを撮るだけだから簡単にできるはずのミッションなのだ。

 

しかし一つ問題があり、私が撮る食事の写真はなぜかとても美味しくなさそうなので、仮にこれがブログ記事になったら写真だけでつけ麺の名誉を毀損しかねない。

 

最初に食事の写真が下手だと指摘してくれたのが天野アマゾネスさんだ。いきなりステーキの写真を記事で使った。

「こんなに美味しくなさそうなステーキの写真初めて見たので笑った。程がある。もろ動物の死骸を焼いた写真。」と言われた。そのコメントだけで今年一年分笑えるなと思ったし未だ思い出し笑いをする。

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これですね。

最近も大戸屋で撮った大戸屋ランチの写真が美味しそうではなかった。特に雑穀米がもううまい例えを言ってる場合でもなく単純にゴミにしか見えない。


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こんな事でつけ麺を記録する権利は果たしてあるのか。記録する権利はあるかもしれないが、発表する際は下手でも絵を描いた方がマシかもしれない。それか麺と汁がそれぞれどちらか判別できる程度にモザイクをかけようか。

 

まずは記録だと割り切って撮るが、とてもお出しできない写真を一人でニヤニヤ眺めるためだけの記録になってしまうかもしれない。

 

もしそうだとしても、来年はちゃんとやるんだぞ。いいな?

自分にプレッシャーをかけて終わる。

 

 

 

 

美容師と話すと自意識が漏れ出る

長年同じ美容院に通っている。安くてだいたいの美容師がいい感じに仕上げてくれるし、あんまり喋りたくなくて雑誌を見続けても気まずくない雰囲気で気に入ってるからだ。基本的に指名はしていない。一人だけ仕上りが微妙な人がいてその人を避けるために指名していた時期もあるが、ホットペッパーの指名のシステムでその人がいない日がわかるようになったのでめっきり指名はしなくなった。指名料がかかるしね。

さて、指名はしていないがだいたい同じ曜日の同じ時間に行くのでなんとなく担当…みたいな人が居るようになった。私は人の顔を覚えるのが苦手なのでその人が前回と同じ人だと気づかなかったが、「前回こうでしたよね〜」みたいな事を言ってくるから「ああ、同じ人なのか」とわかった。

さて、その人(女性なので彼女とします)は比較的最近この美容院で働き始めたらしい(あと前回もその話はしてたらしい。ごめん。)。彼女は人の顔と名前、話した内容など覚えるのが得意だと言っていた。顔を覚えるのも苦手だけど覚えられるのもちょっと苦手なんだよな…と思いながら話をしていたのだが、妙に話がはずむ。普段こんなに美容院で話さないのに、そして他の美容師は多分「普段この人は話さない人なのに」って思ってるだろうなと思うと恥ずかしさがあるのだが、つい話してしまう。

 

先日シャンプーされながら話したのはこんな内容だった。

美容師「忘年会とかあるんですか?」

私「あるけどド平日なんでちょっとね…」

美容師「他のお客さんが言ってたんですけど、忘年会でゲームやるのに景品考えるのが大変だって」

私「ああ、年末なんてただでさえ忙しいのにそれは大変ですね」(そういうのない職場で良かった〜)

美容師「なんか家電とかのリクエストが多いらしいですけど、私はいいお肉とかがいいですね」

私「確かに消えものはいいですね〜」

 

この時シャンプー中であり、この美容院は目の部分だけ紙を載せるので、目を閉じていた私の脳内には割と鮮明なイメージが湧いていた。自分のところだったらどうするだろうか。職場の面々を思い浮かべながら、何なら喜ばれるだろうか、何なら外さないだろうか、などと考えていた。

 

私「家電とかはなんだかんだ自分で選びたい人が多い気もするんですよね」

美容師「わかります。しかも会場にもっていくのに重いですもんね。でもダイソンの掃除機とかちょっといいドライヤーとかのリクエストが多いらしいですよ」

私「ちょっといいドライヤーかあ…」

 

ちょっといいドライヤーかあ…。その人の職場だと大丈夫なのかな?うちの職場でイメージしちゃうとダメだな、ちょっといいドライヤーは…。みんながみんな髪の毛あるわけじゃないし…。髪型とかの話題になると「ちょっと!セクハラじゃないですか?」と笑いを取りに来る自己犠牲の気持ちが強い人が一人いるけど、私は彼はそれなりに傷ついてから今の境地にいると思ってるので彼の精神を摩耗させてまで髪の話したいとは思わないんだよな…。いいドライヤーかあ…そもそもドライヤーの良し悪しとか髪周りの話もしないようにしてるところがあるかもな、私は…。

 

私「ちょっといいドライヤーは…うーん、正直みんながみんな髪の毛あるわけじゃないしなあ…うーん…」

美容師「え?○○さん、めっちゃ考えてるじゃないですか…」

 

めっちゃ考えてる事がばれるの、めっちゃ恥ずかしいな…

 

あと私に前のお客さんの話題をしたから次のお客さんには私の話がいくのかなと思うと少し恥ずかしいな…

 

といいつつ、なんとなく次に行くのを楽しみにしている私がいる。

マジで妄の想

私は自分のことを帯電体質なのかな?と思っていた。

スーパーでレトルトパウチを取ろうとするとバチィ!!と派手に静電気にやられて痛いことがままあり、そんな話を人にすると「レトルトパウチなんかでそんなことになるなんて君は帯電体質だ」みたいな事を言われるからだ。しかも夏でも冬でも同じなのだ。難儀なことだ。

 

しかし、最近ある疑念が生じた。

レトルトパウチでバチィ!!ってなるの、もしかして一番近所のスーパーだけなのではないか。今までのバチィ!!となった瞬間のことを思い出すと、記憶の中の風景はいつもそのスーパーだけなのだ。

試しにしばらく駅前のスーパーでレトルトパウチを買ってみた。ちなみに何をそんなにレトルトで買うかというと80%はお粥である。レトルトのお粥は美味しいから常食している。冷たくても美味しいから封を切って直でスプーンを突っ込んで食べている。 

話は逸れたが、駅前のスーパーでは静電気は発生しなかった。

 

そしてしばらくして一番近所のスーパーに戻ってきた。やはり静電気をくらった。

間違いない。あのスーパーのレトルトパウチこそが帯電してるのだ。私のせいじゃない。いくら手指の乾燥に全然気を払わないからといって私のせいではない。

きっと他の人もなってるのだ、バチィ!!って。そう思って他の人の様子を何気なく観察しながら買い物をした。

ところが誰も痛がっていないのだ。これはどういうことなのだろうか? 

 

説1:他の人も本当は痛いのに痛くないフリをして私を騙そうとしている

説2:一番近所のスーパーには私がレトルトパウチを取ろうとすると電流を流す仕組みがある

説3:そういう妖怪がいる

 

なんにしろ歓迎されていない気がする。

しかしそんなことはお構いなしに行くことだろう。なにせ一番近所のスーパーなのだから。

 

ジオラマ教室にいきました

11月某日、以前から気になっていた瀬川たかし先生(プロモデラー)のジオラマ教室に行ってきた。「遊歩道のある秋の公園」というテーマで情景模型を作ってきた。

 

ジオラマそのものは2012年に開催された庵野秀明館長の特撮博物館でミニチュア特撮用のジオラマを見てから興味があった。

子供の頃、弟と一緒にウルトラ怪獣を紹介する短いテレビ番組を見ていた事もあり、「ウルトラ怪獣が好き」(好きだが詳しい訳ではないよ)という理由でこの展示を見に行ったのだが、すっかり特撮技術に魅せられてしまった。この展示は3回見に行った。お金があればもっと行っていた。

 

ミニチュアを使った特撮の作り込み(室外機に感動した覚えがある)、ガラス張りのビルの崩れ方を再現する技の開発プロセス、遠近法を使って道路の模型に実際より奥行きがあるように見せる技術など、工夫というものの極致を見た気がした。プロの工夫だ。

私もこういうことやってみたい〜!!と思いながらこの歳まで放置していた。去年くらいから「やりたいことあるならそろそろ手はつけておかないと」という妙な焦りがずっとあり、ジオラマ教室に行ったのはその焦りが起こさせた行動の一つだ。

今回ジオラマ作りを習ってみて、これはハマるわという気持ちになった。凝り性の人間の「凝り」を引き出す趣味だ。

三時間弱でこれが
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こうなるのも


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ものを作るペースとして一番気持ちいいぴったりの時間だと思った。

瀬川先生の教え方が実に楽しくて、かつ褒め上手でもいらっしゃるのでノリノリで作った。

 

後日デジカメで撮った写真がこちら。


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我ながら工作初心者にしては良いと思う。いかがでしょう? 

他の角度
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↑この構図は私のあまり読まれてないネタ記事であるこれを意識している。


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不気味な感じに撮ってみたり。

 

物を作る系の趣味だと一時期アクセサリー作りにハマったことがあるが、アクセサリーは純粋に工作を楽しむというより日常で使う事を目的に作ってたので、純粋に作ることを楽しむジオラマとはだいぶ違う気がする。(そういえば作ったアクセサリー全部なくしたんだよな…写真しか残ってない)

 

こういう何かの用途のためではない工作をした経験といえばオモコロ杯で佳作をいただいたこの記事くらいだ。

このときの工作は見えないところはガムテープバリバリに貼ってあるし一部工作ではなくカメラと反対の手で持ってるだけのところもある。上で書いた特撮博で見た特撮の工夫をかなり意識している。

私には珍しくインスタにまとめてある。

 

こうしてみると今年は7年前の特撮博の感動をもう一度なぞる一年だった。

「やってみたい」を「やってみた」にできたことについては自分に「よくできました」と言いたい。

 

これからもジオラマ教室にはどんどん行きたいし、自分の完全オリジナルのものも作ってみたいと思う。やるぞ!