全然心配しなくてすまなかった

実家に住んでいた頃の話だ。当時父は50代半ばだった。

ある朝目が覚めて自室から出たら、ちょうど父が玄関を開けて入ってくるところに出くわした。顔は腫れておりアザだらけだった。

一応「大丈夫?」と聞いたら病院にはもう行ったらしかったので、じゃあいいやと思った。なぜ私がこんなに心配してないかといえば、「また」だからだ。「また」なんだ、すまない。「またなんかやったなこの人は」と思った。弟も起きて来たが、「父さんまたなんかやったの?」と私に聞いてきた。

父は荒っぽい東京下町育ち。若い頃の行状は聞きたくないから聞いていない。しかし私が子供の頃、お出かけしてもちょっと周りと揉めたり(口論で)とか、父の友人と何かと殴り合いの喧嘩をして帰って来たりとか、まあ荒い。私と弟はそんな父のもとで育ったが特に体罰を受けたことはない。母も暴力をうけていない。私が子供の頃を過ごした場所は父の育った東京の下町と違い、郊外の穏やかな地域だったので殴り合いの喧嘩を見たことはないまま大人になった。父がなんで人を殴るのかわからなかった。

私と弟がドン引きしたエピソードがある。父が50歳の誕生日の数日前に、友人と殴り合いの喧嘩をして帰ってきた時だ。もう50よ、父ちゃん。分別盛りもとうにすぎた頃よ。話を聞いてもなんで殴るのか全然わからなかった。「相手も殴ってきたし最終肩組んで帰ったから大丈夫」と言っていた。相手も父の友人だから荒い。向こうも50凸凹だ。この話以降、父は50過ぎてもヤンチャしちゃってるやつと言うことであまり尊敬していなかった。

そんな前提があっての冒頭の反応である。しかし、この時父は殴ってなかったそうだ。一方的に殴られたし、殴り返しちゃダメだと思って殴り返さなかったらしい。私は父に「殴り返しちゃダメ」という気持ちがあったことに驚いたが、同時に「どうせなんか挑発したんだろうな」と思った。

これが約8年前の話である。この8年間の間に私の倫理観も変わった。過去の行動がどうあれ、もしも挑発していたとして、一方的に殴られた被害者をこんなに悪し様に言うのは良くなかったなと反省した。

昨年実家に行った時、「このままじゃダメだって思うんだよ」と父は嘆いていた。父は発言も調子にのって不謹慎な事を言っては不快にさせることも多かった。しかしそれまでその事を省みてる様子はなかったので、父もアップデートしてるんだなと思った。このままアップデートし続けたら晩年は清いおじいさんになるかもしれない。しかし私のかかりつけの医師曰く、人間は老いるにつれ本来の人格が先鋭化してくるという。人格はデフォルメされていく。父のアプデと人格の先鋭化のどっちが勝つのか、あるいはどうブレンドされて行くのかは実際介護とかするかもしれないから気になるところだ。

 

とりあえず今言いたいことはタイトルの通り、ちゃんと殴り返さずに耐えたのに全然心配しなくてすまなかったということだ。ごめんよ。